皆さま、お騒がせしてすみませんでした。
先程、無事に沖縄へ戻りました。帰宅してふと海側をみると、海がとても青くて綺麗でした。祖父も私と一緒に今日初めて沖縄へ来て、この海見てるかな?
お仕事関係の皆様。皆様にお仕事調整して頂いたおかげで葬儀も納骨も無事に終える事が出来ました。急な事で大変ご迷惑おかけしました。ご協力本当にありがとうございました。社長もすぐに飛行機手配してくれて、一緒に葬儀に最期まで参列してくれて、本当に感謝です。結婚してすぐにこんな事になってしまい、バタバタで申し訳なく思います。
祖父は15年間に渡って1人で祖母の介護をやり遂げた疲れからか、5年前に祖母が亡くなってすぐに倒れ、身体のあちこちに痛みが出て来て、老人ホームに入れたのも束の間、病院の入退院の繰り返しでした。最期は病院で息を引き取りました。享年87歳でした。火葬場で骨を見た時、痛いと言ってた両足に骨の中にまでボルトが入ってて、こんな大手術してたんだと初めて知りました。小さな身体で、こんな身体中に金属入れて、頑張って生きてたんだと思うと、本当に強い人だなぁと改めて思いました。親族皆んなで話し合い、痛いと言ってた部分の骨は骨壷に入れず、綺麗な白い骨だけ入れようという事になり、綺麗な骨だけ探して入れてあげました。声も出ないと言っていたので、粉々になった喉仏らしき骨を皆んなで入れてあげました。今頃、祖母と再会して、存分に話せてるかな?
祖母が亡くなった時は親族誰も看取れず。それを教訓に、今回の祖父の危篤の連絡と同時に親族皆んなが迅速に対応し、叔父2人だけでも祖父を看取る事が出来ました。母と叔母は間に合いませんでした。
孫の中で私が一番、祖父母にお世話になってたので、葬儀に参列して、ちゃんとお別れできて良かったです。学生時代は夏休みは毎年祖父母の家に1ヶ月は預かってもらってました。
祖母は優しく温厚で、昔話の上手な人でした。祖父はとても賢く、しつけの厳しい昔ながらの雷親父でした。良く私も弟も箸の持ち方や、礼儀作法で厳しく叱られました。おかげで今はお箸もちゃんと持てるし、ある程度の作法もわかるようになりました。
とても沢山の思い出があり、葬儀では親戚と沢山の思い出話に花が咲きました。
祖父が亡くなる3日前に叔父が顔見に行った際、たまたま私の事をホワイトボードに書いて、私が結婚して沖縄で住むと知らせ、めでたいか?と書くと、うんうんと2回頷いていたらしいです。たまたまですが、私の結婚話で安心してもらえたんだと思うと嬉しかったです。
葬儀中も色々私の身にも親族の身にも不思議な事が起こり、やはり祖父は見ているんだな〜と実感しました。
人が死ぬ時は、あの世に行った時に死ぬんじゃない。忘れられた時に死ぬんだというワンピースという漫画の中の台詞があります。私もそう思います。なので、祖父母の事は私が生きてる限りずっと忘れず思い出して私の中で生き続けてもらおうと思います。
無事に沖縄に戻ったようで良かったです。
お祖父さんの話は初めて聞きましたが、とても素晴らしいお祖父さんだったのですね。
急にこのようなことになってしまって、とても寂しくなりますね。
でも私もお祖父さんはあきさんと一緒にずっと生き続けて行くと思います。
お祖父さんもお祖母さんも、あきさんが幸せに暮らせるように、ずっと見守り続けてくれると思います。
Megumiさん。ありがとうございます。結婚してすぐなので祖父母の話してなかったですよね。私、おばあちゃんっ子だったので、5年前に祖母が亡くなった時はだいぶショックでした。今回の祖父が亡くなった時は泣かないかもと思ってましたが、やっぱり泣いてしまいました。親族の前では頑張って我慢しましましたが。でも、側に感じたりしたので、今はもう落ち着きました。遺品ももらったので、大切に持っておきます。結婚式には両親に祖父母の遺品持って参加してもらおうと思います。